
に三巻もしており、その上、黄疽が強く病院に十日ほど入院しました。
その後は標準よりは小さめでしたが、別に心配もなく育っておりました。一年ほど経ったころ、何となく音の反応もあまりなく、声を出すことはあっても、言葉にならず、多少は心配になりましたが、上の三人の子供の世話と、家事に追われる毎日でした。
一歳半ごろやはり心配になり、近くの病院で診てもらいましたが、「その子によって口の早い遅いがあり、二歳ぐらいまではわかりませんよ」と言われ、私もそんな気になっておりました。たまたま主人の友だちに話しましたら、国立言語障書センターの角田先生と知り合いとのことで、紹介してくださいました。
早速、センターを訪ねて診察して頂き、教育相談に通うように言われました。一年半ほど通った結果、「感音性難聴で、聴力は九十デシベル以上でほとんど聞こえません。ろう学校で専門の教育を受けられた方がよい」と言われました。そのときは、背中に水を流されたような思いでした。
聞こえぬとつげられし我にむちうちて
共に学びて生きんと思う
大宮ろう学校とも思いましたが、当時は交通の便も悪く、埼玉と東京・足立区の県境に近い足立ろう学校に決め、角田先生の紹介状を持って学校の門をくぐりました。幼稚部の先生にお会いし、また授業も見学させて頂き、とりあえず教育相談に通うことにしました。
九月だったので来春四月に入学することにし、センターの先生にすすめられ、集団生活にも
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